私はドライだと言われるが…。

私は、夫によく「ソラはドライだ」と言われる。

自分ではよくわからないけれど、そう見えるならそうなんだろうな。
来るものとは距離をとり、去るものは追わない。

執着、というものがあまりない。
モノに対する執着も、人に対する執着もあまりない。
すぐに諦められる。

別にそのモノが無くても死ぬわけじゃない。
その人がいなくても死ぬわけじゃない。
だから、去るなら追わない。

今までありがとうと密かに思うだけで、静かに見送る。
去る人に対する感情はそれ以外ほとんどない。
そういうところが、ドライだと言われるのかもしれない。

すぐに諦められなかったのはパチンコぐらいか…。
すぐに諦められていたら、借金なんて作らなかっただろうな…。
うまくいかないな。

私には、人間らしさというか、人情というものが、欠けているような気がする。
人間らしい温かさが、足りないような。

私は合理的であることが好きで、簡単で手間のないことが好きなので、冷静な意見を言うことが多い。
感情的な話よりも論理的な話のほうが理解しやすいので、どこか冷めた印象になるのかもしれない。

夫はわりと感情的な人なので、余計そうみえるのかもな。
夫の感じかたや表現方法は、理解できないことが多い。
ただ経験上、こういうときは多分こんな感情なんだろうな、という予想は出来るようになったけど。
私なりに一生懸命学習したので。
でもその感情に共感して寄り添うということはあまりできない。

だからあまり動じないように見られるし、冷めた印象を持たれることが多い。
でも、その「ドライ」が崩壊するときがある。

猫(動物)だ。

猫や犬などの動物が絡むと、私はどう頑張ってもドライでいられなくなる。
感情を大きく揺さぶられてしまう。

とくに、悲しいニュースや痛々しいニュースを見聞きすると、すぐに泣いてしまう。
ひとりの時は嗚咽を上げて泣いてしまう。
そして、脱け殻のようになる。

自分の無力さに、呆然とするだけ。
ただ泣くだけしか出来ない自分が、虚しくて。

なぜ動物に対してだけは、こんなふうに感情的になるのか、自分でもとても不思議。
人間に対してはそんなことはほとんどないのに。

過去に人間にそんなにひどい目に遭わされただろうか…。
子供のころイジメとまでは言わないけど、無視されたりしたことはある。
かといって、人間不信になるほどではなかったと思う。

そして、なぜだか私にとって実家の猫は、これ以上大切な生き物っているだろうかと思わせる生き物で。
とにかく宝物なのだ。

悪いことをすれば叱るし、いい子にすれば思い切りほめる。
彼らが少しでも幸せになれるように祈る。
彼らが幸せだと思っているかどうかは、しゃべれないからわからないけど。
幸せそうにしているときは、私も幸せな気持ちになる。

いろんなことを与えてくれる、たいせつなもの。
私の冷めた心を温めてくれるもの。

これからも人間に対してはドライな私だろうけど、動物に対しては熱い私なんだろうな。
そんな私も、本当の私。
ソラってこんな人間ですが、これからもよろしくお願いします。

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